Notice: Function _load_textdomain_just_in_time was called incorrectly. Translation loading for the polylang domain was triggered too early. This is usually an indicator for some code in the plugin or theme running too early. Translations should be loaded at the init action or later. Please see Debugging in WordPress for more information. (This message was added in version 6.7.0.) in /home/greenbobcat6/www/wp/wp-includes/functions.php on line 6114
Wataru Horie | Fsports

【Fトーク#8】パラアスリート堀江航が、今一番伝えたいこと。 障害を持つ子供達に「スポーツをやってみて!」

今回のFトークゲストは、2018年平昌パラリンピックにパラアイスホッケー日本代表として出場を果たした堀江航選手。堀江選手はこれまで車椅子バスケットボール選手として欧米で大活躍し、それ以外にもブラジリアン柔術、車椅子ソフトボールなど競技の垣根を超えるマルチアスリート。現在は東京パラリンピックにカヌーでの出場を目指している。また、パラスポーツの普及を目的として、一般社団法人センターポールで理事も務めている。株式会社F(エフ)の久保田万美が、堀江選手と日本におけるパラスポーツの現在と未来、そしてこのコロナ禍での選手としての葛藤など伺いました。

パラスポーツを始めた理由

堀江:万美さんとは、2003年の4月にアディダスのイベント部(当時の部署)でお世話になったのが最初の出会いでしたね。

久保田:あの時は「凄くインパクトがある人が来た」というのを覚えてるわ(笑)。でも今も変わらないよね。

堀江:そうですかね。良いのか悪いのか分かりませんが(笑)。

久保田:ホーリー(堀江選手のアダ名)は、会うといつも笑顔なので私も会うたびに元気をもらいます。今日も良いポジティブエナジーもらおう(笑)

堀江:ありがとうございます。

久保田:早速だけど、パラアスリートになるまでの流れ、キャリアを教えてもらえますか?

堀江:僕は小中高大までサッカーを続けて、大学3年生の時にバイクの事故で左足を切断しました。元々体育の教員になろうと思っていたので、大学卒業後に体育の教員のなるために教員免許を取りましたが、スポーツブランドにも興味があったので、ナイキとアディダスに連絡をしてみました。どちらも新卒を募集していなかったのですが、障害者手帳を持っていたのが功を奏してアディダスに入社し、研修でイベント部に配属された時に、万美さんや皆さんにお会いしたんですよね。

久保田:そうだったよね。ところで、いつから車椅子バスケットボールを始めてたの?

堀江:実はアディダスに入る前から。再びスポーツをやりたくなって車いすバスケットボールを始めました。車椅子バスケは面白かったのですが、足がまだ完璧に治っていなくて、練習をすると凄く痛くなって歩けない程だったのです。

それで治療に専念してからアディダスに入り、研修後にカスタマーサービスに配属。その時から仕事と車椅子バスケを両立していましたね。

海外で車椅子バスケのプロ選手に。日本と欧米の環境の違い。

久保田:アディダス辞めて、それからアメリカに行ったのよね。

堀江:アディダスで色々な経験をしている中で、車椅子バスケを本格的にやりたくなったので、アメリカのイリノイ州立大学へ留学しました。5年間アメリカにいて大学院も卒業しました。マミさんは、そこら辺から僕のことあまり知らないですよね?

久保田:そうだね、風の便りで車椅子バスケ頑張ってるという話を聞いていたけど(笑)。

堀江:その後、ヨーロッパで2年間、スペインとドイツのプロリーグでプレーしました。

久保田:アメリカでプレーしていたのに、ヨーロッパのプロリーグへ参加したの?

堀江:そうですね。アメリカ全土で車椅子バスケが盛んで、スカウトの目にとまり、まずスペインへ渡りました。

ヨーロッパはプロスポーツとして、アメリカは教育の一環として大学に行きながら奨学金をもらってスポーツをする。卒業後に社会で役立つスキルを学べる仕組みがありましたよね。

久保田:プロのリーグとしてはヨーロッパの方が進んでいるんだ。

堀江:そうですね。アメリカでは仕事と車椅子を掛け持ちしながらやる人が多く、トップ選手はヨーロッパへ行ってしまいますね。

久保田:ヨーロッパでは、プロ選手としてバスケだけで生活していけるものなの?

堀江:生活していけますね。

久保田:それは凄いね。

堀江:サッカーやバスケみたいに豪勢なスポーツではないですが、贅沢をしなければ生活できます。でもいつまでも稼げないですし、30歳位で「車椅子バスケばかりをやっている訳にもいかない」ということもあり帰国をしました。

久保田:アメリカ・スペイン・ドイツ・日本でプレーをして違いを感じた?

堀江:それこそ、日本でも今ではパラスポーツが盛り上がってきていますが、僕が始めた20年位前は細々とプレーをしていましたからね。日本と海外では車椅子バスケに対する環境が全然違いました。

久保田:そうなんだ。

堀江:アメリカの大学では日本の部活のようにコーチがいて、車椅子バスケと学業に打ち込める環境があったので、実際に向こうへ行って良かったですよね。

久保田:ちゃんと大学にコーチがいる車椅子バスケのチームがあること自体すごいことだよね。いろんな意味でアメリカは多様なスポーツへのサポート、環境が進んでる感じがしますね。

東京パラリンピック開催決定されて何が変わった?

堀江:今は東京パラリンピックの影響もあって、パラ選手をサポートしたいという企業も多くて、アスリート雇用による企業選手が凄く増えています。スポンサー企業は、大手からゲームやアプリ会社までと幅広いですよね。

久保田:日本で競技だけで食べていけるパラ選手は何人位いるの?

堀江:東京パラリンピックで24種目あるので、余裕で100人以上いると思いますね。ですが、2021年が終わってからどうするか、皆考えていると思います。

久保田:東京パラリンピック需要でアスリート雇用数が増えているということなんだね。

堀江:2021年以降は、その数がなだらかに減っていくだろうと考えられますね。人によっては大会後に、選手としてではなく社員として再就職を考えている人もいると思いますね。

堀江:あとね、パラリンピックの成績って、その国の経済力の強さに比例していたところがあります。1970年代から1990年代までは、日本はそこそこメダルを獲得していました。でも、各国の競技レベルが上がっていく中で、日本のレベルは徐々に落ちてしまい、2000年に入ってから世界から取り残されている感はありますね。

久保田:東京パラリンピックが決定した後もそうなの?

堀江:若干盛り上がってきています。昔はパラリンピックの出場のために交通費などを自腹で参加していましたが、今は国がサポートしてくれて代表チームの遠征費や合宿費などの負担が減ってきていますからね。でも、育成の方にまでまだ目が向けられていないという問題があります。オリパラ後に予算が削られたら、どうなるのかなとは思いますね。

選手としてコロナとの葛藤

堀江: 2020年の東京パラリンピックにカヌーで出場を目指しているところで、今回の新型コロナウイルスにより自粛生活をすることになりました。

久保田:自粛が始まってからはどうしてたの?

堀江:去年の3〜5月に関しては、家にいましたね。家で腕立てと体幹トレばかりをやっていましたが、競技レベルがかなり落ちてしまいました。僕はカヌーの選手なので川に行けたのですが、大きな荷物を持って移動すると目立つので我慢をしていましたね。緊急事態宣言解除後の6月から世間的にも良い雰囲気となり、川岸にあるカヌー練習用の倉庫も開いたのでトレーニングを続けています。

久保田:メンタルの方はどう?

堀江:昨年、東京オリパラが延期になって、今もどうなるか分からないので、モチベーションは正直下がっています。

久保田:選手にとっては実際に想像出来ないほど厳しいんだろうな・・・。仲間と話したりする?

堀江:色々な競技の人たちと話すと、皆表向きは「頑張っている」と言いますが、僕はちょっと頑張れない日もありましたね。この3ヶ月で7、8kg太ったので、少しずつ戻しています(笑)。

久保田:それは戻すの大変だね。

堀江:コロナ以降、サッカー・野球・バスケなどが再開されていますが、僕には表現できる場がないですからね。このような状況下でオリパラが開催されて良いのかも、分からないですしね。

久保田:この状況では誰にも分からないことだけど、個人的には東京オリパラを凄くやってほしいと思ってる。たとえ無観客でも、テレビで観れるわけだし。日本に来れる選手達だけでもやってほしいよね。

今、メンタルにプラスになることを何かやっている?

堀江:僕にはメンタルコーチはいないですし、普段トレーニングをしているわけでもありません。ただ思春期の頃から何かネガティブなことがあっても、ポジティブになるように、小さい何かをやり続けてきた感覚はあります。その積み重ねによって、今のようなポジティブなマインドになっているのかなと思います。

堀江:あと僕は現在個人競技をやっているので、チームスポーツと比べるとそんなに影響を受けていないんですよね。その点少し恵まれていると思います。自分で川に行って練習をやれば良いですからね。

久保田:ホーリーは、あまり過去に起こったことに対して悲観しないで凄く前向きなイメージがあるよね。それって凄いことだと思うんだけど。

堀江:学校の講演で話す時に、「過去は変えられないし、未来のことは分からないので悩んでも仕方がないので、今を一生懸命やろう」と言っています。「実践しよう」という感じで「今できることをやる」ことが基本的な考え方となっていますね。

久保田:同感。私はメンタルのコーチに、「頭の中のウンチ*とウンコ*は捨てなさい」と言われたのね(笑)。

*ウンチ( Unchangeable )=過去のことなど変えられないこと。
*ウンコ( Uncontrollable )=未来のことや他人のこと、自分がコントロールできないこと。

「この2つを持っていても気分が落ちるだけだから、そんなものは頭の中から捨ててしまいなさい」って。これを聞いてから、悩んでいる時に「それがウンチなのかウンコなのか」と考えるようになったわ。

堀江:面白いですね(笑)。

久保田:コントロールをできるのは、今の自分しかないからね。

堀江:コロナは?

久保田:ウンコ過ぎるよね(笑)。

日本では移籍がタブー?

久保田:日本では、街ごとにチームがあったりするの?

堀江:車椅子バスケに限って言いますと、インターネットで探すか、各都道府県に障害者スポーツセンターで聞けば、どこにチームがあるかが分かりますね。

久保田:なるほどね。

堀江:ただ日本では問題がありまして、移籍がタブーなんですよ。 強いチームに移籍をしようとすると、「育てたチームを出ていくのか?」という暗黙のルールみたいなものがあって・・・。選手1人がいなくなることでチームが存続の危機に陥る可能性があるからだと思いますが。

久保田:でも、競技を極めたい人にとっては難しい壁になるね。

堀江:ヨーロッパでプロのパラ競技チームではサッカーのように1年間の契約があってチームに所属をしますが、日本ではそもそも契約書自体がないですからね。日本でのやりづらさを感じるところではありますね。

「障害者ナンパ」してます。

久保田:パラスポーツの普及のためには、どういうサポートをあれば良いのでしょう?

堀江:僕が所属しているセンターポールで行う取り組みもそうなのですが、「日本では障害をもった子供達がスポーツをやる環境がない」というのをアメリカに行って、肌で感じました。アメリカでは障害をもっていても子供達がスポーツをできるのが当然なので、スポーツクラブとジュニアチームが沢山あって多くの試合に参加できます。

日本では現在も、アメリカのようなチームがほぼありません。一応大会があるのですが、20代の人達が若手選手として参加するようなものですからね。それで、子供達も含めてパラスポーツをやる場所を作るために、センターポールでスクールを運営しています。

久保田:子供の大会は無いの?チームが組めるほどの人数がいないってこと?

堀江:そうなんです。家にこもっている障害の子供達を引っ張り出そうと思って、センターポールで活動しているというのもあります。子供達はやりたくても親たちが諦めてしまうマインドがあるのではないかと思っていて。子供と親御さんに「スポーツをやるべきですよ」という啓蒙をしていきたいです。

久保田:ホーリーはいろんな公立の小、中学校へ行って活動しているよね?

堀江:それは、パラスポーツの普及のためにですね。できることなら特別支援学校ではなく普通の学校に行けるような環境にしたいと思っています。特別なサポートが必要だから特別支援学校に送りたいという親御さんの気持ちはよく分かります。でも結局、そこで育ってから卒業して「社会に出た時に困らないか?」と思うんですよね。

久保田:なるほどね。子供達だけでなく、学校、社会自体も健常者も障害者も含めて、同じ社会の中で特別なこととしてではなく受け入れる体制、環境があるべきだもんね。

堀江:もちろん重度の障害を持つ子であれば特殊なヘルプが必要なのが分かります。それでも僕は沢山の親子に「普通の学校へ行こう」と言っています。

この4、5年の東京オリパラ効果で、パラスポーツが日の目を浴びるようになってきました。親御さんが「自分の子供達もスポーツをできる」と思うようになってきたのかなと思います。それは本当にTOKYO2020のお陰だと思います。

久保田:少しづつ前進してるのかな。

堀江:僕ね、街でよく「障害者ナンパ」をしてるんです。車椅子の子供がいれば「スポーツをやってください」と(センターポールの)名刺を渡すんですよ(笑)。

すると、「スポーツをやらせてみます」「スポーツを既にやっています」という声を聞くことも多くなりました。

久保田:ビビられそう(笑)その子達はどんなリアクションするのかな?

堀江:「パラリンピックに出ることが夢」と言う子もいますね。
スポーツって素晴らしいじゃないですか。スポーツを通じて、友達・先輩・後輩ができたり、スポーツから学べることは沢山あるので、社会に出てから役立つこともあると思います。

久保田:同感!年齢、障害の有無に関わらず、スポーツって、スポーツ以外にも、いろんなことを教えてくれるよね。

ジュニア世代の全国大会を開きたい!

堀江:僕の目標は、ジュニア年代のチームを全国各地に作って、年に1回全国大会を開くことです。そのためには僕1人ではできないですし、沢山の方のサポートが必要です。

久保田:どういうサポートが必要?
 
堀江:まずは、同じマインドを持つ人達にチーム運営に携わってほしいですよね。例えばサマースクールのように体験会をやって、その後に自分たちで集まって練習できるような環境づくりができたらいいなと思います。

現在、同じ想いを持って活動されている人たちもいて、「横の繋がりを大切にして一緒にやっていこう」という話をしています。

久保田:じゃあ、運営に携わりたい!サポートしたい!という方はどうすればいいの?

堀江:センターポールに是非ご連絡を!(詳細・連絡先はホームページ https://www.centerpole.workをご確認ください)

―最後に

久保田:最後に今後の意気込み、メッセージなどありますか?

堀江:個人的な意気込みとしては「競技者として出来る限りは頑張って、普及育成の方にシフトしていこう」と思います。

皆さんへのメッセージは「もっと応援してサポートしてください」とお願いベースとなってしまうのですが、自分達に魅力や価値がなければ、おんぶに抱っこしてばかりになってしまいますからね。そうならないように、「自分達は魅力ある競技や活動をしていく人にならなければならない」と思います。それがなければ、「なぜ僕達にお金を払うの?」という話になりますからね。本来であれば、「あなたたちに宣伝する価値があるから」と言われる位になりたいですね。

パラスポーツは、サッカーや野球に代わるメジャースポーツにはなれないと思いますが、それなりに付加価値はあると思います。障害を持った人達がスポーツをすることで、「誰にでもスポーツができる」「誰にでもスポーツができる象徴になれる」ということをアピールして、そこに価値を感じていただけたらと思いますね。

久保田:ホーリーの活動を、センターポールのYouTubeやSNSなどを通して沢山の方々に知ってもらいたいですね。選手達が躍動している姿を観ると、「自分も頑張らなくちゃ」という気持ちになる。4年に1度だけ日の目を浴びるのではなく、ホーリーのように普段から頑張っている人達の活躍を伝えることができれば多くの人たちをインスパイアできると思うし、勇気を与えてくれると期待しています。

興味のある方、お手伝いしたい方、是非センターポールへご連絡を!

ホーリー、今日は本当にありがとう!

堀江:万美さん、ありがとうございます。頑張ります!